東京地方裁判所 昭和45年(ワ)10997号 判決 1972年3月27日
原告
佐渡保正
代理人
中山善作
被告
甲陽産業株式会社
被告
厚芝恒
右両名代理人
田辺哲夫
主文
被告らは各自原告に対し金四、六一八、四三五円および右金員の内金四、二一八、四三五円に対する昭和四五年一一月一八日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの、各負担とする。
この判決は、主文第一項に限り、かりに執行することができる。
事実
第一 請求の趣旨
(一) 被告らは各自原告に対し金一、一〇〇万円および内、金一、〇〇〇万円に対する昭和四五年一一月一八日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決および仮執行の宣言を求める。
第二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第三 請求の原因
一 (事故の発生)
原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。
なお、この際原告はその所有に属する左記被害車を損壊された。
(一) 発生時 昭和四二年一一月八日午前八時三〇分頃
(二) 発生場所 東京都豊島区南長崎五丁目七番六号先目白通り交差点
(三) 加害車 普通乗用車(練五せ五一一四号)
運転者 訴外岡山忠博(以下岡山という)
(四) 被害車 軽自動車ライトバン(練六の八八八二号)
運転者 原告
(五) 態様 右交差点に於いて、左方から進入してきた訴外沢田寛の運転する自動車の通過を待つため一時停止していた被害車後部に、加害車が激突し、更に被害車は右沢田車に追突した。
(六) 被害車原告の傷害の部位程度は、次のとおりである。
病名 頸椎性捻挫による外傷性頸ずい症
自宅療養 (42.11.8〜43.1.23)豊島昭和病院入院(43.1.24〜45.5.2)入院七七日間、通院四二〇日、吉田禎克(鍼)通院一五日間、松原外科病院(45.5.6以降現在に至るまで)通院
(七) また、その後遺症は次のとおりであつて、これは自賠法施行令別表等級の七級四号に相当する。
頭痛・頭重感・吐気・眩暈・頸部及び項部痛・腰背部・胸背部痛・手指震顫・耳鳴・精神集中力食欲等の著しい減退等自律神経系統の障害に基づくと思われる不定愁訴にて治療により若干軽快することあるもまもなく再発し、頗る症状頑固にして略固定
二 (責任原因)
被告らはそれぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
(一) 被告会社は加害車を所有し自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任。
(二) 物損につき、被告会社は訴外岡山を使用し、同人が同被告の業務を執行中、後記のような過失によつて本件事故を発生させたものであるから、民法七一五条一項による責任。
(三) 被告厚芝恒は被告会社の代表取締役として被告会社に代り現実に岡山の業務執行を監督する立場にあつたものであるから、民法七一五条二項による責任。
なお、岡山は事故発生につき、脇見運転による前方注意義務懈怠の過失がある。
三 (損害)
(一) 治療費等 合計金五四、九八〇円
1 鍼 一日一、〇〇〇〇円一五日間雑費合計金一五、五〇〇円
2 治療費支払 金一万五千円
3 頸部サボーター代 金三千円
4 入院雑費 一日金二〇〇円 七七日間合計金一五、四〇〇円
5 鍼通院交通費 金三、〇八〇円
6 交通費診断書その他 金三、〇〇〇円
(二) 逸失利益 合計金八、二三九、三五〇円
(1) 休業損害
原告は、常用工一人、臨時工数名を雇つて家具・建築塗装を営業していたが、本件事故のため昭和四五年末まで休業を余儀なくされ合計金二、五九五、九六二円の損害を蒙つた。
すなわち、原告の昭和四二年度の所得は金五三四、五九二円であつたが、同年一一月八日から同年末までは、本件事故により以前の一月分相当の収入しか得られなかつたから、一一月でこれを割ると一月の平均所得は金四八、五九九円となり、その後年二割の増収が可能であつたから、これを基礎として算出した昭和四五年度までの休業損害は、昭和四二年一一月八日から同四二年末までが金四八、五九九円、昭和四三年度金六九九、八二五円、昭和四四年度金八三九、七九〇円、昭和四五年度金一、〇〇七、七四八円である。
(2) 逸失利益 金五、六四三、三八八円
原告は前記後遺症により、次のとおり、将来得べかりし利益を喪失した。その額は金五、六四三、三八八円と算定される。
(労働能力低下の存すべき期間)昭和四六年より一〇年間(労働能力喪失率)五六%
(収益) 原告は、昭和四五年度の見込収入金一、〇〇七、七四八円を基礎とし、以降、年一〇パーセント以上の増収が可能であるので、中間利息を控除しない。
(三) 慰藉料 合計金二九〇万円
原告の本件傷害による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情を、鑑みると、次のように考えるのが妥当である。
(自宅療養期間) 金一〇万円
(入院) 金三五万円
(通院) 金一四五万円
(後遺症) 金一〇〇万円
(四) 物損
原告は加害車の修理に金二〇、六五〇円、修理後被害車を売却した際、中古車だからという理由で推定時価より金二〇万円低く売却せざるを得なかつたので合計金二二〇、六五〇円の物損を蒙つた。
(五) 損害の填補
原告は自賠責保険から既に金一七万円の支払いを受け、これを右損害額に充当した。
(六) 弁護士費用 金一〇〇万円
以上により原告は金一一、二四四、九八〇円を被告らに対し請求しうるものであるところ、被告らはその任意の弁済に応じないので、原告は、弁護士たる本件原告訴訟代理人にその取立を委任し、弁護士会所定の報酬範囲内で原告は手数料及び成功報酬として金一〇〇万円を、第一審判決言渡後に支払うことを約した。
四 (結論)
よつて原告は被告らに対し金一二、二四四、九八〇円を請求し得るところ、右金員の内金一、一〇〇万円およびこの内金一、〇〇〇万円に対する訴状送達の翌日である昭和四五年一一月一八日以後支払い済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第四 被告らの事実主張
一 (請求原因に対する認否)
第一項(三)、(四)は認める。(一)、(二)、(五)、(六)は知らない。傷害の事実は認めるが、部位程度は不知、(七)は否認する。
第二項否認する。ただし、被告厚芝が被告会社の代表取締役であつたことおよび加害車の所有者が被告会社であることは認める。
第三項(一)は知らない。(二)ないし(四)、(六)は争う、(五)は認める。
二 (抗弁)
(一) 岡山は昭和四二年一一月三日退職した後、被告会社の自動車を盗み出して本件事故を起こしたものであるが、自動車が盗取された時点で加害車に対する被告会社の運行支配および運行利益はなくなつたから、被告会社には自賠法三条の責任はない。
又、岡山が被告会社を退職した後に本件事故を起こしたのであるから、被告会社には民法七一五条一項の責任もない。
被告厚芝には、岡山が被告会社を退職している以上民法七一五条二項の責任はない。
(二) 仮に原告の請求が認められるとしても、本件事故発生後、原告は自賠責保険から既に金三〇万円の支払を受けているので、右金額は原告の請求から控除されるべきである。
第五 抗弁事実に対する認否
(一) 抗弁(一)につき否認する。
仮に岡山が一一月三日退職したとしても、被告らは加害車の管理につき過失があり、しかも、岡山は一一月三日の午後五時前に自動車のキィーを持ち出しているのだから、被告会社は自賠法三条、民法七一五条一項の各責任、被告厚芝は民法七一五条二項の責任を免れない。
(二) 自賠責保険から金一七万円受取つた事実は認めるがその余は否認する。
第六 証拠関係<略>
理由
第一事故の態様と責任の帰属
(一) 原告主張請求の原因第一項(三)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。
請求の原因第一項(一)、(二)、(五)の事実は<証拠>により認められる。
右認定事実によると加害車を運転していた岡山は本件事故につき、自動車運転手として遵守すべき前方注意義務を怠つた為本件事故を惹起していることが推認される。
(二) 被告らの責任
(1) <証拠>を総合すれば、被告会社は岡山を昭和四二年六月に雇い、自動車運転手として使用してきたこと、事故当時、被告会社は、新宿区山吹町に事務所と工場があり、加害車のほか、トラック二台および軽自動車一台を保有し、これら車両を通常は、工場倉庫前の空地に駐車させておいたこと、これら車両のキイは運転時以外には、事務所の机に保管しておいたが右机の鍵はこわれており、自由に開閉できたこと、岡山は保管場所を知つていたこと、事務所の入口には、鍵をかけるが、事務所の者が工場の者より先に帰る時には、その鍵を工場の職長か副職長に預けておいたこと、そのため、事務所の者が先に帰つてしまつた場合には、事務所への出入は、比較的自由にできたこと、岡山は昭和四二年一一月三日夕方、被告会社の社長厚芝に借金を申し入れたが、これを断わられたことから退職を申し出、この了承を得たこと(同人は同月四日付で退職したものとされたこと)、同人が被告会社を退職したことは、被告厚芝以外には当日は知らなかつたこと、同日夜岡山は加害車を持ち出したこと、被告会社は、その持ち出しを察知した後も、岡山の居所を知りながら、約一〇日後に返還されるまで、取り戻しの措置等を取つてないこと、事故後岡山が加害車を被告会社に戻した後も、岡山に対し、何らの責任追及をなしてないこと、を認めることができる。以上の認定を覆えずに足る証拠はない。
(2) ところで、被告会社が加害車を所有していることは当事者間に争いがないから、被告会社は事故当時加害車に対する運行支配が切断されていた等の特段の事情のない限り運行供用者として責任を負うべきものと解されるところ、右認定のように岡山が昭和四二年一一月三日被告会社を退職したとしても、被告会社は退職者が加害車を持ち出しているのに、加害車紛失を知つた翌四日以後本件事故時に至るまで、岡山の居所を知りながら何ら加害車取戻の努力をしていないもので被告会社が岡山の加害車使用を黙認したと看做されてもやむを得ないこと、そして前記のような加害車およびキイの保管状況、岡山も本件加害車を遠からぬ内に被告会社に返還する意図であつたと推認されること(実際には、事故発生の数日後に返還している。)等を総合して考えると、被告会社は、本件事故当時、まだ加害車の運行支配を失つていたものと認めることができず、したがつてまた自賠法三条の責任を免れない。
(3) また、右認定のように、岡山が事故当時には、被告会社を退職てしていた同社の従業員でなかつたから、岡山の本件加害車運行は被告会社の適正な業務執行と見ることはできないが、民法七一五にいう「事業の執行」とは、必ずしも被用者がその担当する業務を適正に執行する場合だけに限られず、被用者の行為が外形的、客観的に被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められる場合も含まれるから(最判昭三九・二・四、集一八・二・二五二)、前記したような事情、特に岡山が本件加害車を持ち出したのが、退職申し出の日のことであり、その後事故時まで岡山の加害車使用を被告会社も黙認していたこと、本件事故発生について岡山に過失があつたことの事情が認められる本件においては、原告との関係では、被告会社は、本件事故につき民法七一五条一項の責任も免れない。
(4) また、被告厚芝が被告会社の代表取締役であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば被告会社は、事故当時、被告厚芝を含め、従業員二一名の小規模な企業であつたことが認められ、これによると、被告厚芝は、実質上被告会社に代つて、従業員の選任とその監督をなしていたことが推認されるから、被告厚芝も代理監督者として、民法七一五条二項の責任を免れない。
第二損害
(一) (事故と傷害との関係)
(1) <証拠>を総合すれば、原告は本件事故当時、頸に痛みを感じた以外には外傷がなく、大したことないと考え、仕事を続けていたところ、事故数日後より頭部、頸部等に激痛が起こり同月中は、仕事には出ていたが半分程度の仕事しかできず、一二月になつてからは仕事の方は殆んどできず、どうにか車の運転には従事していたものの、昭和四三年になると家での横臥を余儀なくされ、やむなく一月二四日豊島昭和病院で診療を受け頸椎捻挫による外傷性頸ずい傷と診断されたこと、その後昭和四五年一〇月一六日松原外科病院で鞭打損傷後遺症と診断され、また昭和四六年一月一九日には、国立東京第一病院で頸部外傷後遺症兼頸部捻挫と診断されたことが認められ、以上の認定を覆えすに足る証拠はない。この事実によれば、原告が本件以外にも事故を受けたことの認められない本件では、原告の頸部捻挫は本件事故によるものと推認される。
(2) 次に原告の診療過程を見ると、<証拠>を総合すれば、事故当時、原告は頭にずきんと痛みを感じただけであつたが、事故数日後より頭部、頸部、背部等に激痛が生じ、自宅療養に専念してきたが、痛みが続くので昭和四三年一月二四日豊島昭和病院(当時の病院名、甫瑞病院)で診察を受け通院していたが、同病院に同年二月八日より同年四月二五日まで入院、その後もまた同病院で昭和四五年五月二日まで通院加療を続けたこと、その間昭和四四年九月一六日から同年一〇月一〇日の間に港区六本木七丁目所在の鍼師の吉田禎克の治療を一五回受けたこと、原告は右治療によるも軽快しないため、昭和四五年五月六日松原外科医院に転医し、昭和四六年一月八日まで通院(実日数一一九日間)、同月九日より同月一八日まで同病院に入院して加療を受け、さらに同月一九日より国立第一東京病院に転医し、同日より同年二月九日まで入院して治療を受け、その後、同年三月八日から再び松原外科医院に転医し、最終口論期日である昭和四七年一月末まで通院加療していること、松原外科病院への通院回数は、一週間に三回程度であること、昭和四五年一〇月一六日松原外科病院で、原告の鞭打損傷後遺症は「頭痛、頭重感、吐気、眩暈、頸部及び項部痛、腰背部、胸背部痛、手指震顫、耳鳴、精神集中力・食欲等の著しい減退等自律神経系統の障害に基づくと思われる不定愁訴にて、治療により若干軽快することあるも、まもなく再発し、頗る症状頑固にして、ほぼ固定したものと認められる」として、労働者災害補償保険級別七級四号に該当すると診断されたこと、さらに原告は、昭和四六年二月一六日、国立東京第一病院では頭痛・項部痛・吐気・めまい・耳鳴を訴えているが、「神経学的検査上、右握力低下、右上肢感覚に障害がある。頸部レントゲン検査では不安定症、変形性頸椎症を認める。脳波検査上境界領域である。」として、その後遺症は自賠法施行令二条別表九級一三号に該当すると診断されたことが認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(3) 右認定事実によると原告の本件事故により受けた傷害治療は、口頭弁論最終期日である昭和四七年一月三一日まで続いているが、前記認定したところによれば、原告の症状は少なくとも昭和四六年三月以降、心理的療法とそしてなによりも原告本人の社会復帰への意欲、社会生活への馴化により、その労働能力の回復が期待できる段階に至つていることが認められ、かつ右認定の傷害部位、現存症状そして原告の社会的地位・年令・その有する技能に鑑みると、原告は前記時点で自賠法施行令別表九級一三号に該当する後遺症状を有するに至つたものの、その労働能力喪失の割合は昭和四二年中五〇%、昭和四三年、昭和四四年中は一〇〇%、昭和四五年一月一日より昭和四五年一二月末までは八〇%、昭和四六年一月一日より五年間とみるは三五%のが妥当である。
(二) (治療費等)
(1) 治療費金三〇、五〇〇円
<証拠>によれば、原告は、昭和病院に対し金一三、一〇〇円、国立東京第一病院に対し少くとも金一、九〇〇円以上、鍼師吉田禎克に金一五、五〇〇円の治療費を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
原告は頸部サポーター代、診断書料についても損害が生じた旨主張するが、この代金支払いについては認めるに足る証拠がなく、この損害を認めることはできない。
(2) 入院雑費 金一五、四〇〇円
入院中の患者がその入院期間中、栄養補給品、日用品等の購入や連絡通信費として金二〇〇円を下らない金員の支出を余儀なくされることは公知の事実であるところ、前認定の原告の傷害の部位、程度、入院期間に鑑みると原告が入院中の雑費として金一五、四〇〇円の支出をしていることが推認され、これは本件事故と相当因果にある損害とみるべきである。
(3) 交通費金六、〇八〇円
前記認定の吉田鍼師の所在地、当裁判所に顕著な、原告の住居地と右吉田鍼師の所在地との距離およびその間の交通機関の存在によれば、原告は吉田鍼師への通いに際し、少くとも金六、〇八〇円の交通費を要した事実が推認される。
(二) (逸失利益)
(1) 休業損害金一、八三八、七九一円
<証拠>に弁論の全趣旨をあわせると、原告は本件事故当時、常用工一人、臨時工数人を雇つて家具、建築塗装業を営み、営業基盤も固つていたこと、昭和四三年度の納税申告は金五三四、五九二円であるが、本件事故以降昭和四二年末まで半分程度稼働していたものの、昭和四三年以降昭和四七年一月三一日までほとんど稼働してなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。これによると、事故当時の原告の平均月当りの収益は前記申告額を一一で除した金四八、五九九円と算定される。
ところで、原告は、昭和四三年以降毎年二〇%以上の増収が可能であつたと主張し、たしかに、原告本人尋問の結果によれば、事故当時の塗装工の日給は金二〇〇〇円程度であつたものが、昭和四六年末頃にはそれが少くとも金四〇〇〇円にも高騰していたことが認められ、それは年間約二〇%の割合による高騰と算出される。このような賃金の高騰は、貨幣価値の下落等経済情勢の変動に伴つて生じた面が大きい割合を占めることは明かであるが、労働の評価自体が高く見積られたことによる面もあることは否定できない、これら高騰化した理由のうち、貨幣価値の変動によるものは、大幅な変動のため事情の変更があつたと認められる特段の事情のない限り、本来法定利率によつてまかなわれることが予定されているものであり、また解決が遅れることにより高騰した場合の差額を、加害者、被害者のいずれの負担とするのが公平かという観点からも、これを加害者側に負担させるのは相当でない。しかし、それが労働評価自体の高騰の面がある場合には、それは従前の被害者の収益とともに、被害者の逸失利益算定の資料となるものである。このような観点からすると、公知であるところの昭和四二年以降昭和四六年までの貨幣価値の下落の事実および大工等建築関連部門の職種が他の職種よりも賃金が高騰化している事実に鑑み、原告の場合も、少なくとも年五%程度の収益増があつたと推認するのが相当である。
右認定事実および前認定の労働能力喪失の割合によると昭和四二年一一月八日以降昭和四五年末まで原告の本件事故により失つたとみられる所得額の昭和四五年一一月一七日現在の価額は別表逸失利益計算書(一)休業損害欄のとおり金一八三万八七九一円と算定される。(原告は昭和四五年一一月一八日以降の遅延損害金の支払いを求めるのでホフマン式により中間利息を控除した。)
(2) 逸失利益 金一、〇九七、〇一四円
前認定の原告の事故当時およびその後の推認される収入、後遺症にもとづく労働能力喪失の割合およびその持続期間に従うと、原告は昭和四六年一月一日より昭和五〇年一二月三一日まで通常人に比し三五%稼働能力を低下させて稼働するほかなく、これに従い収入の三五%を逸失することになるので、この昭和四五年一一月一七日における現在価額を求めると別表逸失利益計算表(二)欄のとおり金一、〇九七、〇一四円となる。(原告は昭和四五年一一月一八日以降の遅延損害金の支払を求めるのでホフマン式により中間利息を控除して計算する。)
なお、原告は昭和四七年以降についても毎年一〇%の増収が見込まれる旨主張しているが、これを認めるに足る証拠はない。
(三) (慰藉料)金一五〇万円
前記認定の本件事故の発生事情・治療状況・後遺症の諸事情を総合すると、本件事故により原告が蒙つた精神的損害は、金一五〇万円(自宅療養期間中金二万円、入院期間中金二五万円、通院期間中四五万円、後遺症に対し金七八万円)をもつて慰藉するのが相当と評定する。
(四) 物損 金三〇、六五〇円
<証拠>によれば、本件事故の際、原告はその所有する軽自動車三菱ライトバン三六〇デラックスを損害され、その修理費として金二〇、六五〇円を負担したほか、その後生活費捻出の為、被害車の売却を余儀なくされたが、その際、事故車だからということで金五万円でしか売却できなかつたことが認められる。
原告は、被告車は当時時価金二五万円であつたので、売却により金二〇万円の損害を蒙つたと主張し、原告本人尋問中にはそれに添う部分があり、また事故車が事故のため価格落ちすることは容易に推認されるが、その価格落ちの範囲は、多くとも修理費の五割を超えないことは公知の事実であるから、右本人の供述部分は信用できず、仮りに事実だとしても、正当な価格落ちの範囲外のものは被告らに負担させることはできない。そうしてみると、本件事故と相当因果関係のあるのは修理代金二〇、六五〇円と価格落ち分金一万円である。
第三(損害の填補等)
そうすると本件事故と相当因果関係にある原告の損害は金四、五一八、四三五円となる。
ところで、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故による損害に関し、既に自賠責保険から、少なくとも金三〇円の支払を受けたことが認められるので、他に充当されるべき損害の立証のない本件では、右損害賠償金額より金三〇万円を控除した金四、二一八、四三五円が原告において被告らに連帯して支払を求める金員である。
第四(弁護士費用)
以上のとおり原告は金四、二一八、四三五円の損害金の連帯しての支払を被告らに求めうるところ、証人佐藤美代子の証言、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、被告らはその任意の支払をなさなかつたので、原告はやむなく弁護士である原告訴訟代理人にその取立を委任し、弁護士会所定の報酬の範囲内で原告は金一〇〇万円を、成功報酬として、第一審判決言渡後に支払う旨約定していることが認められ、右認定に反する証拠はない。
しかし本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと原告が被告らに負担を求めうる弁護士費用相当分は金四〇万円であつて、これを超える部分まで被告らに負担を求めることはできない。
第五(結論)
そうすると原告は金四、六一八、四三五円およびこれより未払の弁護士費用金四〇万円を控除した内金四、二一八、四三五円に対する一件記録上訴状送達の翌日であることが明らから昭和四五年一一月一八日より支払ずみまで年五分の割合による民法所定遅延損害金の連帯しての支払を求めうるので、原告の本訴を右限度で認容し、その余は理由なく失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(田中康久)
<別紙>略